趣味の車弄りが家族の笑顔の中心にありますように
~中古M3を維持するということ~
あらすじ
インプレッサSTIを乗り継ぐうちに、STIの開発秘話に何度も出てくる(E46)M3に心引かれ、新車で本体価格1000万のBMW M3(E90)を中古で570万円(総額674万円)で購入しました。
毎日仕事でまさにゲタ車として使用し、中古輸入車、特にスポーツカーの維持は可能かの論争を横目に、最初のうちは何事もなくすぎましたが、ある日突然、その牙をむき出しました。さて、M3は維持が可能か。
これは、みんカラのブログに2011年7月より2014年4月まで掲載した内容を編集して加筆したものです。
前書き
中古輸入車は維持できるかと言う論争は、ネットや雑誌でいろいろ繰り広げられてきました。ある人は「可能だ」、ある人は「不可能だ」と。今回私は、新車で車輌本体価格が990万円のBMW M3という車を、本体価格570万円で中古で購入しました。その車を毎日仕事や趣味のテニスで、ほぼ1年中足として使い、4年間の日常をSNSで書き綴りました。今回その4年間を14話にまとめました。
1 いつかはポルシェ
「いつかはポルシェ」
それが私が小さい頃から胸に抱いていた思いです。
“いつか“とはいつか
そもそも、”いつか“は本当に来るのか?
そんな自問自答の後に出る結論は、いつかはいつかです。
車好きの年の離れた兄の影響で、私は小さい頃より車が好きでした。
小学生のころから、兄の部屋に忍び込んで、カーグラフィックを読みふけって、いろいろな空想に耽っていました。
そして、この頃から
「いつかはポルシェ!」
という誓いをひそかに立てて、ポルシェ以外は車にあらず、のような妄想に取りつかれました。
なぜポルシェでないといけないのかというと、
「フェラーリやランボルギーニだと、そりゃ速いけどよく壊れるでしょう?」
という思い込みがあったからです。
そして、45年前、ポルシェの911カレラはたしか770万円でした。
「770万円だったらいつかは買える?」
という思いもあったからです。
もう一つの理由は、
「ポルシェは毎日の使用に耐える実用車のくせにスーパーカー」
という、所有したことも所有者を身近に感じたこともない小学生の評価です。
年の離れた兄は、私がまだ浪人生の間に卒業して社会人になって、FC3SのRX-7を買いました。そして一般道で助手席に乗せてくれて、フル加速してくれました。
当時、「プアマンズポルシェ」だとか「924のパクリ」だとか言われていたRX-7ですが、そんなのお構いなしに、このRX-7に完全ノックアウトされました。
まさに生まれて初めての、スポーツカーとの遭遇でした。
時は流れて私も社会人になって、初の給料が出てすぐにハンコをもってユーノス(マツダ)に向かい、ローンでRX-7を買いました。
兄の車はFC3SのRX-7で、私が購入したときにはすでにFD3Sにモデルチェンジしていましたが、FD3Sも初めてのスポーツカー体験を思い出させてくれる素晴らしい車でした。
結局FD3Sは2台連続で新車を購入しました。
ここからひたすらスポーツカー道楽の道をまい進するのですが、根底には幼いころにインプリンティングされたポルシェ崇拝思想が流れており、「いつかはポルシェ」を胸の奥にしまい込んでいました。
RX7を日常の足で使う上で、独身であってもどうしてもいろいろと不便な部分が出てきて、日常の足にもう一台車を購入しました。最初はヴィッツのRS、もちろんマニュアル車です。そのうちにスバルのレガシィに出会って、スバルのフィロソフィのすばらしさに触れて一発で虜になりました。
そして、レガシィ(6MT)からフォレスターSTI(6MT)、インプレッサSTI(6MT)、さらにもう一台インプレッサのSTI(6MT)を所有するなかで、もっとスバルのことを知りたい、もっとスバルの開発者たちの熱い情熱に触れたいとの思いから、STIの開発秘話などの書籍や記事を読み漁りました。
そして、その開発秘話に頻回に出てくるBMW M3に魅せられて、「いつかはポルシェ」の前に、「何とかしてM3」という気持ちが芽生えました。
その思いは年々膨れ上がり、中古で何とかM3を買うという目標に2011年7月にたどり着き、中古のM3の購入にたどり着いたのです。
勿論、M3一台ですべてをこなしているうちに、いろいろな事件が起きましたが、4年後に日常の足としてマーチを購入するまでの、笑いあり涙ありのエピソードを書き綴ります。
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